積極財政、教育への投資が日本の未来を切り拓く

1.投資が未来への果実になる。

 

最近、各政党で、積極財政について語られてるけど、これまで自公は科学教育に投資して来なかった。一見無駄に思えるような基礎研究も結局、利益に直結しないからと言って、切り捨ててきた。

 

結果といえるわけではないが、日本は先進国から脱落し、今や発展途上国の様に物価が安く、質の低いものへとなった。

 

欧米諸国は6%経済成長してるのに、日本は経済成長率1%だ。これは積極財政してこなかったからという研究結果があり、まさしくその通りだと思う。

 

中には日本は別に積極財政しなくても良いという論調の人もいるかもしれないが、資本主義社会の中では経済成長が国の力に関わる。

 

誰もメリットの無い状態で社会と付き合うだろうか?貴方はボランティアの為に中東へチャリティーでかけますか?

 

人が居れば何かの経済活動はしなくてはならない。それが出来ないとなると、日本も中東の様な宗教国家じゃないと国民の結束は無い。

 

宗教というと無宗教だと言う人が日本人には多いけど、世界中見渡せば何らかの宗派に属してる人が多い。だからと言って宗教に入るのは個人の自由だけど、何も無い社会のコミュニティに依存するには何かの指針が必要だ。

 

以前は仏教を信じてたけど、仏教にも問題はある。キリスト教やイスラム教だっていざこざはある。しかしながら、何かの教えに帰依する事は重要だ。それが精神の安定に繋がる。

 

教えを請わないで資本に依存するのは、拝金主義で誰かを不幸にする。

 

人間社会は金だけで動いてるわけじゃない。だから基礎研究も利益に直結しないからと言って無辜にするべきものじゃない。

 

何らかの研究は存続すべし。確かに予算は必要だけど、研究に生きがいを見せる人だっているから、思いやりが必要。

 

人間の活動は経済だけで割り切れるものじゃない。

 

2.教育には投資が必要。個人で負担するべきか?国が積極財政しないと子どもに未来がない

 

教育格差って今は言われてますよね?人間、教育を受けないと現代文明の恩恵は教授できない。

 

教育を受けない限り、人間は成長しない。自分で勉強できればいいけど非効率だ。効率だけでは割り切れないけど、教育水準が所得に比例するのは現代社会の現実。

 

だとするなら、教育は拡充しないといけない。色々と教育の推進力を上げないと、所得倍増なんて夢のまた夢。

 

今の勉強はつまらないんだよね。もっと勉強したくなるような教材を作ればいいのに、ことさらあちこちに便利屋を作ろうとして、勉強をつまらなくする。

 

興味のある分野で活躍すればいいのに、漢文、古文なんて必要ですか?理数系だけ学べというわけじゃないけど、得手不得手がある。

 

どうしても好きになれないのなら、その人にとって勉強しなくなるのは国の損失だ。

 

全員、標準的にボトムアップする必要はあるけど、大学からは興味のある分野で大いに研究したら良い。それが何になるかなんて企業が推し量るべくもない。

 

価値はその時決められなくても、続ける義務はある。研究にお金を投じるのは教育と同じぐらい必要。まぁ遊んでると言われるかもしれないけど、宇宙人の研究だって夢があって無駄ではないはずだ。

 

それがエンターティメントになればいいし、人はもっと労働を捨てて、創造的になるべきだ。

 

2045年にはAIのシンギュラリティ(技術特異点)が起きて、人間の労働はロボットに置き換えられるという推測がある。じゃあ人間の経済活動って労働だけに限らないじゃないか?

 

人は自分のやりたいことをやるようにすればいい。今はまだ労働が残ってるけど、将来的にそのシナリオを捨てるべきじゃないだろうか?

 

シナリオを描く人はシナリオ。漫画を描く人は漫画を。ゲームを作る人はゲームを。映画を撮りたい人は映画を。お金稼ぎたい人はお金を。

 

勉強したい人とは永遠に学者であって欲しい。それが世間に知られるまでは説得力無いかもしれないけど、価値を図るのが一部の人だけに限るのは、差別だ。

 

いま現代は誰もが製本でき、動画を取れ、音楽を作れるのだから、商業的に成功しなくたって、誰も困らない。

 

教育に話を戻すと、誰かが考えた教育を誰かに教える。それが所得に大きく関係してるのだとしても、個人の意志に即さない勉強は教育ハラスメントになる。

 

勉強は昔は遊びだったと出口王仁三郎の記憶力に関する本にも書いてあった。ロジック的に考えなければ覚えることも覚えられない。それは勉強の楽しさだったり、興味付けかもしれない。

 

学力にもその分野のエキスパートになればいいんだし、それが、所得水準に反映されるなら、これは悪い社会だ。

 

みんな精神を病んで、薬漬けになる。

 

かくいう私も再教育のリカレント教育には興味がある。数学が出来なかったから数学の良い教材(Webアプリ含む)があれば利用したいと思う。

 

それは単なる自己満足かもしれないけど、理解したいと個人的に思う。数学はあらゆる分野に応用できるから、面倒くさい部分を除いて、数学の方程式を解く時間に集中できるように誰か整備してくれませんかね?

 

無駄な部分は誰だってやりたくない。むしろ無駄を省けるのが現代のテック産業だから省いたほうが良い。

 

私もこういう文章を書けるのは誰かに教えて貰ったわけじゃない。自然と文章を書くのが楽しいから書いている。賛同を得られなくても私は文章を書く。

 

いずれ小説を書いてみたいと思うけど、インスピレーションがわかない。

 

その内書きたい物が出来てくるはず。その時まではこういった政治の分野に興味を抱かざるを得ない。

 

大体、日本が給料が上がら
ないのだって、政治が教育に投資してこなかったからであり、プライマリーバランスの黒字化だけで、内部留保は溜まるけど、人を信用してない。

 

人を育てるのが教育だとするなら、人に投資するのも将来の信用。

 

うまく説明出来てるか解らないけど、ベーシックインカムをしたら財政破綻するってのは極論。

 

国債100兆円発行したってインフレにはならなかったのだし、日本はもっと借金できる。

 

お金は国の信用だと思うが、人に投資しないで、人がいいだけの途上国と将来なるであろう。

 

それはそれでいいけど、その人だってメリットが欲しい。その需要に答えるべきじゃないかな?

 

政府は国の借金ばかりを気にして、経済を回してない。手繰って言えば国民を信用してない。

 

それは相対的貧困を生み出し、国民も政治家を信用しない。誰かが捨て鉢になって国の将来を背負うべきだが、バブル崩壊以降誰も体を張って道を正さない。

 

まぁれいわ新選組だとか国民民主党とか国民の事考えてくれる政党が出てきたけど、それまでの日本は欲望ばかりが先行して、誰も先頭に立とうとは思わなかった。

 

リーダーになろうとしてる人が、自分の部下のやる気の無さに憤慨していた。もっと早くからこの状況から脱するべきだったけど、昔が無理だったら今からやろう。

 

私は世界を信用しなかったけど、今だったら信用できる人と組んで世の中を変えたい。

 

どうせだったら歴史に残るような偉業をしたい。

 

お金が必要だけど、そこまで考えてる人はあまりいない。

 

それは生まれ持ったものかもしれない。誰かにやれと言ってできるわけじゃないから俺がやろう。

 

その昔はイデオロギーで争ってたのだから。

 

それで人格が出来てた。

 

日本は世界から見ればまだ13歳。これは戦後日本を占領したGHQのマッカーサーが言ってた。未来の子供の将来の為に今、体を張ろう。